2024年3月27日
太平洋戦争における陸軍の中部太平洋諸島での戦闘のうち、内南洋諸島に派遣された部隊に関する資料群です。「西カロリン」では、カロリン諸島西部(パラオ諸島、ヤップ島、メレヨン島)に派遣された部隊の記録などが含まれます。
『馬哇新聞』は 横川金次郎により1906年にマウイ島のワイルクで創刊され、週二回の発行でした。安井里助が経営を引き受けたのち、大幅に拡大しました。英語欄は1928年にスタートしましたが、最終的に同紙は1941年に廃刊になりました。
新聞通信調査会の源流をたどると、1945年に解散した同盟通信社に行きつきます。同盟の通信社事業は現在の共同通信社、時事通信社に引き継がれましたが、その清算後の残余財産を活用して47年に財団法人通信社史刊行会が発足。明治時代の近代的通信社誕生から共同、時事の初期の活動までをまとめた『通信社史』が58年に刊行されると翌々年、刊行会は新聞通信調査会と改称し、以後、ジャーナリズムに関する調査研究、資料収集、月刊誌や書籍の発行、各種イベントの開催に取り組んできました。2010年に専門図書館として通信社ライブラリーを開設し、関連図書や収集した資料を一般に開放。資料閲覧の利便性を向上させるため、18年にはデジタルアーカイブ「同盟通信社資料公開サイト」を開設して収集資料の公開を順次、進めています。
同盟旬報第1号の発行は、同盟発足翌年の1937年7月15日。当時の通信社電は現在と違って蓄積されることはなく、収容力に限界のある新聞紙面に採用されなかった記事は日々失われていました。これを補うため、国内外に配した取材陣による記事や、ニュース交換協定により外国通信社から取得、翻訳した記事のうち「天下の事象に関心を寄せる知識人」「公的責任を負う社会人」(いずれも「発刊の辞」から)が参照すべき記事を網羅して旬刊誌(注:10日に1回発行する雑誌のこと)として発刊することになったのです。43年2月に同盟時事月報と改題して月刊化。当調査会が収集できた45年3月発行の第225号までをサイトで公開しています。