今から150年前の1871(明治4)年、明治政府はそれまで藩ごとに分かれていた軍を統一し、政府直轄の軍を築くべく御親兵を組織し、全国を管区に分けて鎮台を設置しました。また、明治政府は同年、兵部省に陸軍部と海軍部を設けました。 今回のアジ歴グロッサリーでは、このような建軍期から日清戦争、日露戦争、シベリア出兵を含む明治・大正期を対象に、陸軍に関する用語を集めました。陸軍の成立と展開を知る上での、1つの手がかりとなりましたら幸いです。なお、昭和期は含んでおりませんのでご留意ください。
今回の特別展では、明治期の日本と東アジアの関係に着目し、外政を含む中央省庁・行政機関・各種専門教育機関の変遷や、交通・通信・工業などの整備にスポットを当て、日本が西欧列強やアジア近隣諸国といかなる関係を築いてきたのかを探ります。テーマ別ページの「地図から検索」・「定期航路を見る」・「海底電線を見る」のコーナーでは、在外公館・灯台・鉱山などの分布、定期航路・海底電線の整備状況を地図上で探して、関連資料を検索することができます。
今回の特別展では、「外地」を対象とし、そこに置かれていた行政機関の組織変遷、および日本国内と「外地」の行政機関の間で行われた人事異動、ないしは植民地官僚の経歴にスポットを当て、「外地」での勤務経験が彼らにとっていかなる意味があったのかを探ります。テーマ別ページの「官僚の経歴を見る」コーナーから、各植民地機関で勤務していた官僚の経歴を調べて、さらにアジ歴データベースを検索することで、その人物が従事した業務に関する文書、もしくはその人物に関わる叙位・叙勲の記録、辞令などを見ることができます。
実はあのルーツは戦前・戦中期にあった?あるいは戦前とは異なる形で継続していたってホント?今回の特別展では、戦前と戦後を比較軸として、行政組織、法律や政令などの制度、モノなどの変遷に注目し、昭和の戦争の時代から、戦後の復興期へと、日本の政治経済・社会・文化はどのように変わっていったのか、公文書を通じてご紹介します。
「アジ歴で資料を検索する時にどんなキーワードで探すのかわからない」といった声にお応えし、歴史資料検索ナビ「アジ歴グロッサリー」を公開しました。特に今年は終戦から70年ということで「復員・引揚」をテーマにしています。これによりアジ歴で公開している終戦時の復員・引揚の記録を、地図・組織変遷表・年表を辿りながら体系的に検索できます。ぜひご活用ください。
本展では今年2024年が第二次憲政擁護運動から100周年となることから、提供3館(国立公文書館・外務省外交史料館・防衛省防衛研究所戦史研究センター)の公文書や海外邦字新聞といったアジ歴独自の公開資料を用い、男子普通選挙や女性参政権のほか、戦前日本に関係する様々な「普通選挙」像を描き出します。
明治150年にあたる平成30(2018)年の特別展では、明治4(1871)年に欧米各国に向けて派遣された岩倉使節団にスポットをあて、使節団の行程や現地での活動の詳細について、地図や年表でご覧いただけます。使節団に関わった人々の一覧や、使節団に関する歴史資料のご紹介などのコーナーから、アジ歴データベースで資料の検索・閲覧に進むことができます。岩倉使節団に関する歴史的背景やその後の歴史に与えた影響などについて、コラムでご紹介しています。
このインターネット特別展は、アジ歴と大英図書館との共同企画として制作・公開するものです。ここでは、大英図書館が所蔵する日清戦争関係の版画コレクションとアジ歴の公開する日清戦争の関係資料とをあわせてご紹介し、日清戦争という出来事を、当時の人々がどのように描いたのか、どのように記したのかを見ていきます。
近代のあゆみの中で、日本人が経験したさまざまな出来事。政治制度や法制度の発展、外国との交流、そして戦争、災害。そこには、今日も語り継がれる人物のエピソードがあり、その後の日本の運命を決定づけたエピソードがありました。そして、歴史の表舞台には登場しない人々の営みもありました。ここでは、明治から昭和初期に至る、そうしたエピソードのいくつかを紹介します。
いつから洋服を着るようになったの? 海水浴はどうやって広まったの? 明治時代に海外旅行ってあったの? …今では当たり前のことが、その「むかし」、どのようにして始まったのでしょう、どんな様子だったのでしょう。明治の文明開化から昭和初期の日常風景まで、人々の生活や文化をめぐるさまざまなルーツやエピソードをご紹介します。
日露戦争(明治37年2月~明治38年9月)では、有名な「日本海海戦」をはじめ、「奉天会戦」、旅順をめぐる陸海の長い攻防戦など、歴史に名を残す様々な戦闘が繰り広げられました。その詳細を陸海軍の記録によってたどります。海軍資料からは、戦闘記録を豊富に含む「日露」「日露戦書」、日露戦後に軍令部によって編纂された「極秘 37.8年海戦史」、陸軍資料からは、満州軍の記録である「陸満機密・密・普大日記」などをご紹介します。
嘉永6年(1853年)、ペリー率いるアメリカ艦隊(黒船)が浦賀に来航し、日本は、開国そして明治維新を経て、近代国家としての歩みを進めることになりました。その道のりを、嘉永7年(1854年)の日米和親条約から昭和20年(1945年)の降伏文書(太平洋戦争終結)に至る様々な条約書(外務省外交史料館所蔵の原本をカラー撮影)と、条約や国内の重要な制度や法律に関する御署名原本によってたどります。
昭和13年(1938年)2月に内閣情報部によって創刊された『写真週報』は、昭和20年(1945年)7月まで7年以上にわたってほぼ毎週発行され、全375号(370冊)を数えたグラフ雑誌です。この雑誌に掲載された豊富な写真記事が映し出す、昭和戦前期の日本社会、人々の生活、そして戦争の様子をたどります。また、関連する様々な公文書もあわせてご紹介します。
昭和16年(1941年)12月8日未明、日本軍の真珠湾攻撃により日米開戦。ここに至るまでの日本とアメリカの交渉の過程を公文書によってたどります。交渉にあたった駐アメリカ大使・野村吉三郎と松岡洋右、豊田貞次郎、東郷茂徳ら外務大臣とのやり取りを追い、その中で交わされた、対米交渉要綱「甲案」「乙案」、そして「ハル・ノート」などの資料をご紹介します。
明治37年(1904年)2月から18ヶ月間にわたって繰り広げられた日露戦争。その背景となる様々な出来事から戦争の経緯、そして戦後までを公文書によってたどります。「宣戦の詔書」、「日露講和条約及追加約款」(ポーツマス講和条約)批准の勅令、「講和に関する詔勅」などの資料をご紹介します。また、この戦争が当時の社会や人々の生活に及ぼした影響についての資料を、いくつかのテーマに沿ってご紹介します。
我が国は「地震大国」とも呼ばれるように、これまでに幾度となく震災に見舞われてきました。明治、大正、昭和前半期に起きた数々の震災とそこからの復興を公文書によってたどります。地震発生時の第一報、津波の被害についての報告、被害者や被害家屋の数についての調査報告、被災者の救援活動の記録、そして復興に向けた数々の財政計画や都市計画などの資料をご紹介します。
8月15日は「終戦の日」です。昭和20年(1945年)のこの日に「玉音放送」が行われ、太平洋戦争が終結しました(第二次世界大戦終戦の記念日は国や地域によって異なります)。「ポツダム宣言」、「終戦の詔書」(「玉音放送」はこれを読み上げたものです)といった終戦関連のものを中心に、「ハル・ノート」、「宣戦の詔書」、神風特別攻撃隊や戦艦大和の記録など、太平洋戦争にまつわる資料をご紹介します。
2022年06月27日
新規資料を公開しました。
【公開日】6月25日
【資料概要】
【階層】
東洋文庫>近代中国関係日本語資料