日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月29日
第74回大本営政府連絡会議(議題:戦争決意に関する12月1日御前会議の議題決定、開戦決意に伴う国内外に対する措置、独伊に対する外交措置)
資料1:十一月二十九日(土)自午後四時至午後五時 第七十四回連絡会議(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)167画像〜170画像)
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資料2:昭和16年11月29日(『機密戦争日誌 其三』221画像〜222画像右)
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 昭和16年(1941年)11月29日、午後4時より午後5時にかけて、第74回大本営政府連絡会議が開かれ、開戦に向けた準備が進められました。
 資料1の議事録によると、まず12月1日に予定されている御前会議の議題について議論され、決議案や議事予定について修正が行なわれました。続いて、同盟国であるドイツ・イタリアに対する措置について話し合われました。ここでは東郷外務大臣より、日米交渉は決裂必至であり近く開戦となりそうであることを受け、三国同盟に基づいた戦争や講和についての約束事を取り決めたいとの申入れを、大島浩駐ドイツ大使と堀切善兵衛駐イタリア大使を通じてドイツ・イタリアに行ないたいとの提案がなされています。この提案については、「共同ノ敵」という文言の示すところがイギリス・アメリカであることを明らかにする説明を加えた上で、申入れ事項を両大使に電報にて通達することに決定しています。そして、今後のアメリカとの外交について議論が交わされます。まず、議事録上では発言者が「○」と表記されている人物が「戦争ニ勝テル様ニ外交ヲヤラレ度イ」と述べたのをはじめとして、永野軍令部総長ら海軍の人々(発言者は「○」とされ明確にされていませんが、後の文章には「永野、嶋田、岡等海軍側ハ…」という表記があります)から、あくまで日本に優位となるかたちで外交を進めるよう、東郷外務大臣に対する要望が出されています。ここではこうした姿勢について、「戦ニ勝ツ為ニ外交ヲ犠牲的ニヤレト強ク主張セリ」とまとめられています。東郷は、本国で開戦を決定していることをアメリカにいる外交官に知らせずにいることについて懸念を表していますが、ある人物(発言者は「○」と表記)から「外交官モ犠牲ニナツテモラハナケレハ困ル最後ノ時迄米側ニ反省ヲ促シ又質問シ我カ企図ヲ秘匿スル様ニ外交スルコトヲ希望スル」と要求され、これに沿う意向を述べています。そして、ある人物(発言者は「○」と表記)が最後に「国民全部ガ此際ハ大石蔵之助ヲヤルノダ」と述べているように、国家が一丸となって開戦意図を秘匿してゆく方向性で議論がまとめられています。
 資料2の『機密戦争日誌』のこの日の記述では、まず午前より行なわれた、東条内閣総理大臣による重臣に対する開戦決意の説明と、その後の天皇と重臣との懇談についての説明がなされています。この懇談については、「御上モ充分納得遊バサレタルガ如シ」と記されています。続いて、連絡会議について述べられます。日本の開戦決意の秘匿については、「現状推移ノ外名案ナシ」としています。また、「米未ダ戦争準備全クナシ」として、開戦決意を秘匿することによって、ドイツがソ連に侵攻した時以上の急襲を日本は成功させるであろうと述べられています。
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