第70回大本営政府連絡会議
(議題:南方占領地行政実施要領決定、対米交渉について外務大臣説明)
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資料1:十一月二十日(木)自午前九時至午前十時半 第七十回連絡会議(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)156画像〜159画像右) |
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資料2:昭和16年11月20日(『機密戦争日誌 其三』213画像〜214画像右) |
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資料3:南方占領地行政実施要領 十一月二十日大本営政府連絡会議決定(『重要国策決定綴 巻一』69画像左〜71画像) |
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昭和16年(1941年)11月20日、午前9時より午前10時半にかけて、第70回大本営政府連絡会議が開催されました。
資料1の会議録によれば、まず「南方占領地行政実施要領」について、陸海軍による案に東郷外務大臣からの修正提案を加えたものを基礎とした審議が行われました。この際、杉山参謀総長より、中国での占領地行政が失敗しその弊害が続いていることを踏まえて、「南方行政ハ一元的ニ統轄シテヤル様ニ充分ナル考慮ヲ以テ審議セラレ度シ」との要望があり、これに基づいた修正を取り入れて案は決議されています。次に、東郷外務大臣が、11月18日(米時間)の野村駐アメリカ大使とハル米国務長官の会談(11月19日の野村・ハル会談についての資料解説を参照)についての説明を行っています。野村は「十八日野村電」(11月19日野村大使発東郷大臣宛電報第一一三一号、一一三四号、一一三四号ノ二)において、日米間の緊張緩和のために、日本は南部仏領インドシナよりの撤兵を行いアメリカは日本に対する資金凍結を解除する、という話をまとめたい、と提案してきました。東郷は野村に対し、部分的な点に限って話を進めるべきではないとして、次の訓電を送るまでは会談を進めないよう指示し(11月19日の東郷の野村に対する訓令についての資料解説を参照)、続いて、本国からは「乙案」全体を一括したかたちの提案を行うよう命じられたとハルに明言した上で「乙案」による交渉を行うよう申し伝えました(11月20日の東郷の野村に対する訓令についての資料解説を参照)。以上のような経緯の説明の最後で東郷は、日本が三国同盟によるドイツとの関係にとらわれず自主的に行動するつもりであることをアメリカに理解させよ、と野村に伝えたことを述べつつ、日本国内の緊張した状態が野村にはじゅうぶんに反映されていないこと、アメリカ側は戦争を望まない姿勢を見せつつあるが、開戦を志向するアメリカ国内与論の手前、日本に対する妥協を見せることは無理であろうことを指摘しています。
資料2の『機密戦争日誌』でも、以上の東郷と野村との遣り取りについて大きく取り上げられています。まず、駐兵問題についての野村の交渉姿勢に対する批判が述べられています。続いて連絡会議で明らかにされた東郷大臣の対応について、上記の会議録における記述とほぼ同内容の説明がなされていますが、ここでは特に野村大使に対する東郷大臣の反感が強調され、その姿勢が称えられています。そして、野村自身の電報によれば野村の提案にはアメリカが同意を示そうとしているが、「乙案」を一括して提案するという姿勢によって、特に蒋介石への援助の停止という要求が問題となって、日米交渉は決裂するであろう、との見解が述べられています。また最後には、野村大使に対する痛烈な批判が添えられています。
資料3は、ここで決定された「南方占領地行政実施要領」の全文です。
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