日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月15日
第69回大本営政府連絡会議(議題:対米英蘭蒋戦争終末促進決定)
資料1:十一月十五日(土)自午後十時至正午 第六十九回連絡会議(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)152画像〜156画像右)
画像資料
資料2:昭和16年11月15日(『機密戦争日誌 其三』207画像左)
画像資料
資料3:対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案 昭和一六、一一、一五 連絡会議決定(『重要国策決定綴 巻一』66画像〜69画像右)
画像資料
 昭和16年(1941年)11月15日、午前10時より正午にかけて、第69回大本営政府連絡会議が開催されました。
 資料1の会議録によれば、まず東郷外務大臣が日米交渉についての説明を行っています。ここで東郷大臣は、同5日の第7回御前会議で決定した「甲案」「乙案」を野村駐アメリカ大使に訓令し、「米カ之以上帝国ノ要求ヲ無視スルコトハ米国ニ於テ十分猛省スル様又今日ノ事態ハ一日モ看過出来ナイ旨ヲ米ニ申入レラレ度シ」と伝えたことを報告しています。また、これを受けて野村大使がハル米国務長官と会談を行なった際、先方から「本交渉ハ予備会談ナリ」という主張があったことや、グルー駐日アメリカ大使に返事を催促しつつ、アメリカの姿勢に対する抗議の意を伝えたことなども報告しています。ここでの東郷の論調は、日米交渉の経緯と現状に対する懸念を表すものになっており、交渉が成立しない場合を見越した意見も述べています。続いて「対南方開戦名目ニ関スル件」についての審議が行われましたが、これについて「戦前ニ宣戦布告ヲスルカ或ハ宣戦布告スル事ナク戦争ニ入ルカハ研究ノ要アリトノ意見多数ナリ」との記述があります。
 資料2の『機密戦争日誌』では、この日の連絡会議についての記述は見られませんが、現状についていくつかの指摘が見られます。まず、「乙案」が成立した場合にアメリカより取り付ける保障の具体的内容について、陸軍省から案が出されたことが記され、この案に対する賛意が示されています。次に、来栖特命大使のアメリカ到着に際してルーズヴェルト米大統領が旅行を取り止めたとの報道があったことについて、「米モ亦誠意ヲ示シ来レリ米トシテモ日本ノ決意ニ畏レヲナシ来レルガ如シ」と述べています。そして最後に、日米交渉について「俄然成立ノ公算濃化シ来ル」と述べつつ、陸軍省軍務局軍務課の石井秋穂大佐の意見を踏まえ、「乙案」を待たずして「甲案」によって日米間の交渉が成立する可能性も指摘しています。このような見解は、この日の連絡会議における上記のような東郷大臣の論調とはかなり異なるものと言えます。
 資料3は、この連絡会議で決定された「対米英蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」の全文です。上記の「杉山メモ」にはこの案の決定に関する記述はありませんが、前回の第68回会議の記述ではこの案(ただし、「対南方戦争終末促進ニ関スル件」と表記)の決定が次回の会議に持ち越したと記されていることと、この文書自体に「昭和一六、一一、一五 連絡会議決定」と記されていることから、今回の連絡会議での決定として扱いました。
このページを閉じる