日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)8月4日
野村大使、本国に対し、協力者の派遣を要請
資料1:B02030716000 1 昭和16年8月1日から昭和16年8月5日(7画像左〜8画像)
「昭和16年8月4日野村大使発豊田外務大臣宛公電第六四六号(外機密、館長符号)」
画像資料
 昭和16年(1941年)8月4日午後(米時間)、野村駐アメリカ大使は本国に対し、日米交渉の協力者の派遣を要請しました。
 資料1は、野村から豊田外務大臣に宛てられた要請電報です。ここで野村は、昨日(日曜日)のアメリカの新聞がいずれも日米問題を論評し、概ねアメリカ政府の強硬態度を支持しており、「ガラップ」の世論調査も強硬論が多数だったと述べ、目下世論の焦点はドイツ戦の話題よりも日米交渉の方にあるようだと報告しています。そして、若杉(要・元在ニューヨーク総領事)と岩畔(豪雄・元陸軍省軍務局軍事課長)が帰国したときに報告をするだろうが、形勢は刻々進展し、時間が大きな要素になるだろうと見通しを述べています。続けて、この際自分一人で交渉を行ない、間違いがあったらまことに申し訳ない上に微力にも限りがあるので、近々便がありしだい、内外の状況に通じた例えば来栖大使のような外交官の先輩を一時的に出張させていただきたいと要請しています。最後に野村は、わたしは何分政府の方針の機微について触れるところを知ることができないし、こちらでも手の下しようがないしだいなので、この件に関して特に詮議の上速やかに実行していただきたいと述べています。
このページを閉じる