日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)5月3日
松岡外務大臣、野村大使に対し「オーラル・ステートメント」と「日米中立条約」申し入れを訓令
資料1:B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(22画像左〜24画像右)
「昭和16年5月3日松岡外務大臣発在米野村大使宛公電第一九〇号(極秘、館長符号、大至急)」
画像資料
資料2:B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(11画像左〜19画像)
「外務大臣「オーラル・ステートメント」(仮訳)(極秘)」
画像資料
資料3:B02030714800 6 昭和16年4月23日から昭和16年5月10日(20画像〜22画像右)
「〔昭和16年5月3日連絡懇談会了解〕対米中間回答要旨」
画像資料
 松岡洋右外務大臣が昭和16年(1941)年4月22日に欧州より帰国してから、5月3日にはじめて連絡懇談会が開かれ、「日米諒解案」について話し合われました。そのあとで、松岡外務大臣は、野村駐アメリカ大使に対し、ハル国務長官にオーラル・ステートメントを渡すように指示しました。
 資料1は、松岡が野村に対して指示した訓令電報です。この公電では、オーラル・ステートメントの手交のほか、「日米諒解案」を考慮し続けるために、野村大使の「即席ノ思付キトシテ」、「日米中立条約」を提案し、アメリカの出方をみるように指示しています。
 資料2は、松岡によるオーラル・ステートメントの仮訳で、「五月三日往電第一九〇号ニ附属スルト認メラル」という注記があります。オーラル・ステートメントの中では、「日米諒解案」は重大かつ多岐にわたるので考慮に日数を要することが述べられた上で、欧州を視察して得た次のような考えが盛り込まれていました。すなわち、(1)ドイツ・イタリアが会談による和平をする気持ちがないこと、(2)現段階で戦争の勝敗は既に決しているとみていること、(3)ソ連は中立を守ること、(4)アメリカの参戦は戦争を長期化させるが、ドイツ・イタリアの指導者は最後の決定に何の影響もないこと、(5)日本は三国条約に基づき、ドイツ・イタリアの地位を毀損しないことといったことです。
 資料3は、松岡による「対米中間回答要旨」で、松岡の野村への指示は連絡懇談会において了解済みだったことがわかります。
このページを閉じる