日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)3月8日
野村大使・ハル米国国務長官会談
資料1:B02030714300 1 昭和16年2月15日から昭和16年3月15日(11画像〜14画像)
「昭和16年3月8日野村大使発松岡外務大臣宛公電第一三六号ノ一(極秘、館長符号扱、外機密)(写)」
「昭和16年3月8日野村大使発松岡外務大臣宛公電第一三六号ノ二(極秘、館長符号扱、外機密)(写)」
画像資料
 昭和16年(1941)年3月8日、野村駐アメリカ大使とハル米国務長官は会談を行ないました。
 資料1は会談の模様を野村大使が本国に報告した電報です。この会談は、公式挨拶後はじめて秘密裏に行なわれたものです。会談を手配したのはウォーカー郵政長官で、ウォルシュ司祭・ドラウト神父を通じて信頼を得ていた産業組合中央金庫理事の井川忠雄によって野村大使に伝えられました。ハル国務長官は、この会談で自らの経済政策を説明し、極端な国家主義や三国同盟について批判しています。また、日本のシンガポール・蘭領インドに対する真意(武力進出の計画があるか)をたずねています。これに対し、野村大使はあくまで経済的に進出する目的であるが、アメリカが禁輸(「エンバーゴー」)政策を強化すれば、軍部を刺激する恐れがあると返答しています。また、野村大使は双方が「冷静沈着」にならなければならないとし、禁輸政策が日本国内の「人心」を刺激していると強調したが、ハル国務長官は満足のいく回答をしなかったと述べています。
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