日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)1月30日
第7回大本営政府連絡懇談会(議題:タイ及び仏領インドシナ施策要綱決定)
資料1:一月三十日第七回連絡懇談会 対仏印泰施策要綱ノ件(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)24画像左〜28画像右)
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資料2:対仏印、泰施策要綱(『大本営政府連絡会議 議事録 其の一』(杉山メモ)28画像左〜37画像右)
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 昭和16年(1941年)1月30日、第7回の連絡懇談会が開催されました。
 資料1は、この連絡懇談会の会議録です。この会議では、1月27日に仏領インドシナ側が日本の調停を受諾したことをふまえて、タイ、仏領インドシナに対する今後の統一的な政策方針を定めた「対仏印、泰施策要綱」が決定されました。
 会議の中では、施策実施の目標を3月末とする陸軍に対し、松岡外務大臣がそれが不可能であることを強く主張し、「三月末ヲ目標トシ」という部分が削除されています。また松岡外相は、自らが提案した備考は削除するとしても記録に止め置くことを要望しています。
 議事の最後には決定された「対仏印、泰施策要綱」について、御前会議において正式決定すべきかが検討され、結論として上奏(天皇に申し伝えること)のみを行なうことで意見が一致したと記されています。
 資料2は、この連絡懇談会で決定された「対仏印、泰施策要綱」です。この文書では、「大東亜共栄圏建設」の途上において日本が当面する仏領インドシナ、タイに対するこの施策の目的は、日本の自存自衛のため仏領インドシナ、タイに対し軍事、政治、経済にわたり緊密不離の結合を設定すること、とされています。またその方針としては、(1)日本は仏領インドシナ、タイに対する施策を強化し目的の貫徹を期し、このため必要な威圧を加えやむを得ない場合は仏領インドシナに対し武力を行使すること、(2)この施策はイギリス、アメリカの策謀を排し敏速にこれを強行してなるべく速やかに目的を概成すること、とされています。末尾には、政治的軍事的事項に関する外交上の措置については、四囲の情勢に鑑みその時期及び方法を決定し、次第によっては仏領インドシナに対する要求の内容についても変更することがある、という松岡外相の連絡懇談会での発言が記録として残されています。
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